三条サポステの利用者が文章作成の練習に用います。


by sanjobunshou

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 この日の大貧民は、人数がとても多かった、そのため二つのグループに別れた。そのせいかどうかわからないけだ、あまり勝てなかった。残念。(Z)
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by sanjobunshou | 2009-11-27 12:43
 本性はばれています。どんなに自分を取り繕っても、ピエロ役を演じても、「社会」という、ある規模の集団の中で人と関わっていくうちに本性は自然と出てしまうものなのです。
 私は2007年11月に行われた、新潟サポステと三条サポステの合同合宿でのワークショップの内の一つでそれを知りました。
 そのワークショップとは「大ウソつき大会」です。 それでは、「大ウソつき大会」の体験を下記に書いてみます。


 「さて、今から自己紹介をしていただきます。ただし、ウソの自己紹介です。思いきりありもしない大ウソをついてください。たとえば、『私は実はハリウッドの大スターです』などという風に。そして『この仕事をしていて楽しいのはこういう時です』という点も加えてください。あまり考えないで、口から出てくるにまかせて、どんどん大ウソをついてください。合図をするまで何度も回してください」

 参加者一同、戸惑いながらも、こうして大ウソつき大会が始まりました。
 「私、本当は宇宙人なのです。地球の様子を偵察して楽しんでいます」
 「私は実はAV女優です。一皮むけば皆いっしょね」
 「大きい声では言えませんが私は貿易商です。もうかりますよ」
 「私はさっきのAV女優さんの相手役です。うふふ」
 「わたしはロック歌手なんです。俺の精一杯の歌にみんながのりのりになってくれるのが最高っす」

 笑いを誘いながらこんな風にひと回り。さらにどんどんウソを続けます。
 
 みんな、必死で次から次へと大ウソをつきあいます。ときおり爆笑が起こりました。5回ほど回ったところで、時間になり終了。ふぅー、と疲れからため息がもれます。よく平気でこれほどウソをついたことか…。それに、どんどん続けてウソをつくのは結構大変なのです。
 ほっとする間もなく、続いては〈うわさ話〉の時間です。一人が輪の外に向いて、みんなに背を向けます。残りの人は、そのひとが話していたウソから、実際は初対面でよく知らないその人がどういう人なのかをひそひそと「うわさ」をするのです。私自信の大ウソについては、こんなうわさ話がなされました。
 「あの人、ロック歌手とか総理大臣とか言っていたじゃない。かなり目立ちたがりなんじゃない?」「思いきりはじけたいみたいだったね」「権力志向かな」「いや、権力というより自分の持っている力で大勢を喜ばせたいみたいだったよ」「板前です、とも言ってたし」「いずれにせよ対象は必要で、大勢の人と関わるのが好きみたいだね」「そうね、自分の能力を目一杯提供して、人に喜んでもらうのを自分も楽しんじゃう感じだね」などと好き勝手にうわさしあいます。
 うわさされている方は、そのうわさ話を自分でメモしていきます。すると、どうも口から出まかせに大ウソをついたつもりでも、ウソをめぐるうわさ話は自分の性格のある部分を実によく言いあてていることに気付きます。 「驚きだな…、確かにそういうところ私あるんだようなぁ~。みんな初対面の人なのに私のこと知らないはずなのに、なんでこんなに自分が表れてしまうのだろう…。怖いものだな。」と思ったものです。

 以上が私の体験したワークショップとそのときの感想です。


 本性はばれています。とは冒頭で書きましたが、その人の全てが、ばれているということはないと思います。ばれているのは、その人のほんの一部だと思います。また、みんながみんな同じように共感して、その人の本性の一部に気がついて共有しているとも思いません。それぞれがその人の本性の異なる一部分に気づいているものではないかと考えます。気づかれている本性はほんの一部分であり、その人の本性に気づいているのは、それぞれ一部分さまざまなのだと考えます。具体的に言うと、ジグソーパズルのピースを、人それぞれが握っているようなものです。
 ですが、そのバラバラのピースが組み合わさってしまうと、その人の裏側、本性が見えてくるのです。ですから、集団の中では本性はばれてしまうのです。いくら、自分を取り繕い、ピエロ役を演じてもばれてしまうのです。
 

 以上のことから、無理して自分を取り繕い、ピエロ役を演じる必要などないのです。表側では明るく笑い、裏側で独り泣くことなんてないのです。素直な自分を出してみませんか?どうせあなたの本性はばれているのですから。
 ではいったい素直な自分とは何なのでしょうか?本当の自分とはなんなのでしょうか?自分の本当の気持ちとは、いったい何なのでしょうか?
 これは、独りで悶々と考えていても決して答えはでません。人との関わりの中で見つかるのです。人と交わることで見つかるのです。人と話、接することではじめて自分という「人」を定義できるのです。
 本当の自分が分からないという方は、人と話、接することで、「素直な自分」を探してみてください。そして、「素直な自分」で人と話、接してみてください。独りで泣かなくてよいのです。泣くのならみんなで、悲しむならみんなでそれを共有しませんか。楽しいことも悲しいことも分かち合いませんか。<H.K>




参考文献:ワークショップ 中野民夫著 新しい学びと創造の場 岩波新書 95~98頁
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by sanjobunshou | 2009-11-21 08:15 | 利用者の文章
 この日、トランプカフェがあった。トランプカフェとは、三条サポステで毎週金曜日の午後1時からトランプをしたり、休憩のあいまにコーヒーをのんだり、紅茶をのんだりしてすごすのです。わたしは毎週できるだけかかさずさんかします。トランプを一緒にしたい人はぜひきてください。待ってます。(Z)
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by sanjobunshou | 2009-11-20 11:43 | 利用者の文章

大貧民

今日はパソコンでダンロードした大貧民ゲームをEさんと一緒にした。(Z)
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by sanjobunshou | 2009-11-14 14:51 | 利用者の文章
前回、私の唱える「実践主義」についてご説明いたしました。それは、
 
『何事も行動あるのみ。行動の結果で、物事は明らかになる』

です。
これは結果を確認できないことをグダグダ考えていないで、とにかく行動することによって、モヤモヤしていたことがスッキリとわかるということです。実際的な結果から物事を説明する態度なのです。
 この思想をさらに発展させると、
 
『知識や理論が正しいかどうかは、それを実際の行動に適用してみて、その結果が有用かどうかによって決まる』 

ということになります。
 抽象的で分かりにくいですね。それでは、ここで私の思想を分かりやすく漢方薬を使ってご説明しましょう。
 体調を崩し病院へ行くと漢方薬を処方されることがあると思います。漢方薬は、その種類ごとによって効果が違います。例えば葛根湯は風邪の初期段階に。頭痛には当帰芍薬散(トウキシャクヤクサン)。そして酸棗仁湯(サンソウニントウ)は不眠症にというように、医師から処方されたら、みんなそれが正しい効能と思うはずです。
 ではここで実験です。
 例えばここに、私が調合した1種類の漢方薬、漢方薬Xがあるとします。なんだかとても怪し気なこの漢方薬。早速、気になる効能ですが、私が適当に調合したので効能は未知です。これではいったいどんな効能があるのかわかりませんね。
 そこで漢方薬Xを実際に使ってみることにしました。
 するとAさんは「ぐっすり眠れました」と、とてもうれしそうです。
 一方Bさんは「お肌がつるつるになりました」と、同じくうれしそうです。
 そしてCさんは「ご飯が3杯食べられました」と、これまたうれしそうです。
 それぞれ3人とも漢方薬Xの効能には大満足。がしかし、いったい誰の効能が正しいのでしょうか?私ならこう答えます。
「全員正解です!」
 実はこれこそが私の思想、「実践主義」なのです。

『知識や論理が正しいかどうかは、それを実際の行動に適用してみて、その結果が有用かどうかによって決まる』
 
自分にとって有用だったら(よい結果が出たら)それは真理。ということは当然、人それぞれの真理があるはずなのです。だから真理がひとつであるとは限りません。
 例えばAさんの世界において漢方薬Xの効能は、安眠効果。
 Bさんの世界においては、美肌効果。
 またCさんの世界においては食欲増進。と、全員が自分の真理を語っており、誰かが間違っているなんてことは決してありません。
 この全員正解というポジティブな考え方こそ、私の唱える「実践主義」なのです。
 
私はこの考は、芸術的真理にも有用であると考えます。芸術が理解できないというあなた、もしあなたが、ある絵画を鑑賞してみて、この絵は素晴らしいと思ったのなら、その絵画の芸術性は真理なのです。逆に、鑑賞した結果「こんな絵画は見る価値もない」と思ったのなら、その芸術性は真理ではありません。
先日、私はとある立体アート展に行ってきました。最初の印象は「なんだこりゃ?」でした。ですが、よーく鑑賞して感じてみると、そのアートの独創性、創造性に気付きました。私にこれを表現できただろうか?想像できただろうか?創造できただろうか?否、私には絶対に不可能なアートでした。私の中に、あのような発想はありませんし、表現することも無理です。
そこで私は気がつきました。この三次元アートの芸術性は真理であると。一見「なんだこりゃ?」なアートですが、これは紛れもない芸術作品なのです。
芸術とは何か解らないという方も是非、美術館やアート展に足を運んで芸術を鑑賞してみてください。そこで、あなたが感じたことに、間違いなどありません。あなたが感じたこと、そのものが真理なのです。
この絵画は凄いと、あなたが思えば、その絵画の芸術性は真理なのです。こんな絵なら自分でも簡単に描けると思ったのなら、その絵画の芸術性は真理ではありません。
 
これが、「実践主義」からみる芸術鑑賞の考え方です。芸術は理解できないと一般化して考えていらっしゃる方、芸術を全否定せず、芸術作品個々に目を向け、じっくり鑑賞してみてはいかがでしょうか。<H.K>
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by sanjobunshou | 2009-11-13 09:49 | 利用者の文章